「私はなぜ子供が苦手なのか」子供の忘れられない対応
産まないことは「逃げ」ですか②
子供だからこそ人間性を見抜く!
子供だからといってなめちゃいけない。つぶらな瞳で人間性をしっかり見ているのだと思った。自分のあざとさを反省した。母性アピールに必死な自分が情けなかった。
女の子の母いわく、「Bが人の輪から外れて寂しそうに見えたから、手を握りにいったんじゃないかな。潮が嫌いなわけじゃないと思うよ」。フォローしてくれたのだが、いやいや、これは完全に見抜かれたのよ。原始的な観察眼をもつ子供が本当に怖くなった事件である。
子供が苦手なことは今も変わりない。でも、ありもしない母性アピールはしなくなった。
「子供が苦手」というのが自分の立派な個性になったからだと思う。もちろん近寄ってきたら全力で接待する。「お尻プリプリ星人~」と尻を振りながら、子供を追いかけて喜ばせるくらいのスキルは身についた。
実は、私の母も子供が苦手だという。苦手ではなく、嫌いだと言い切った。言った本人は見事な老人力ですっかり忘れているのだが、私はしっかり覚えている。
子供が嫌いでも、ふたり産んで育てた母。母は母性ではなく、個性で私と姉を育ててくれたわけだ。子供がいる人もいない人も、個性で生きていけばいいと教えてくれた気もしている。
子供がいないのも、子供が苦手なのも個性。そう思うとラクだ、今もこれからも。〈『産まないことは「逃げ」ですか?』(著・吉田潮)より構成〉
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